入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.60
一般社団法人 こどもけんこう園
大久保 友杜矢さん
【幼児体育、運動あそび教室、空手教室】

“衝動”が導いた起業への道。
徳島県美馬市生まれ。4人兄だい(兄、大久保さん、弟、妹)で、男3人たくましく、自然の中で駆けまわって育った。
小3の時に父の転勤に伴い香川に移り、高校を卒業後、就職のため京都へ。2年半、営業職を務めたが、
「何かやりたい!」
という衝動に駆られ、香川へ戻って、携帯電話の販売や、引っ越し、宅配、ホテル業など様々なアルバイトをして、いろいろな業界を経験した。
広島には、転勤で3か月住んだことがあるだけだが、都会だし、
「なんだか気になった」
のだという。
24歳の時、知人から、
「キミは優しいから、福祉の仕事に向いている!」
と言われ、その言葉に押されて介護士の資格を取り、老人ホームで働いた。
寝たきりのお年寄りが、毎日、天井しか見ていない姿に、
「何の楽しみがあるんだろう・・・」
と疑問を覚え、
「マッサージなどの、ケアが必要なのでは」
そうだ、 「整体の世界へ!」
と、衝動的に飛び込んだ。組織の中でそれをやるには時間がかかるため、
「直接、自分でカタチをつくろう」
と、独立。出張整体からスタートした。

「健幸体操」に込めた思い。
最初は、
「怖さしかなかった」
という。リスクは最小限にと考え、院を持たずに、薬局や介護施設、個人宅などへの、出張整体からスタートした。
軌道に乗った頃に、整体院をオープン。整体業の傍ら、腰痛研修・健康講座などの依頼も受けるようになった。
地域包括支援センターからの紹介で、障がい者支援施設での体操指導も請け負った。
「笑いが無ければ!」
と考え、歌に合わせたり、ジャンケンやゲームなど、遊びの要素を取り入れて、誰もが楽しめる体操にこだわった。
“健幸体操”は、こうして生まれた。

幼児向けの体操教室を始めたのは、2011年。
保育園から頼まれたのがきっかけだったが、3~4か月やってみて、その難しさを、痛感。
「未経験者には無理です」
と、一度は断りを入れたという。
しかし、園から、続けて欲しいと切望されて、
「火が付いた!」
という。
子どもが集中できる時間は短い。
「シンプルに、わかりやすく。そして、楽しく」
を基本に、子どもの心拍数に合わせることを意識。また、声に抑揚をつける、表情を豊かにする、ボディランゲージを加える、言葉は一度に2つか3つ・・等、飽きさせないための様々な工夫をした。
すると1年半後には、子どもたちの反応が変わり、話も聞いてくれるように。
こどもけんこう園の礎は、こうして築かれた。

高校生の時には空手をやっていたという大久保さん。もともと、
「いつか道場をもちたい」
と、思っていたという。
そして子どもたちと接する中で、改めて、
「空手は痛そう、痛いのは嫌だ」
という思い込みを、払拭したいと思った。
空手を通し、礼儀も学べる。
1年半、師匠の居る香川で修行し直し、”空手教室”をスタートした。”空手道”ではなく”空手教室”としたのは、
「堅苦しくなく、とにかく楽しく空手の魅力を伝えたい」
という思いから。
大久保さんの空手の動き見た子どもたちから、
「先生、忍者みたいじゃ」
と言われたのをきっかけに、”にんじゃ遊び教室”も生まれた。忍者の格好をした大久保さんが、子どもたちを楽しく、健幸に導いている。

子どもたちに「楽しむ大人」「輝く大人」を見て欲しい。
幼児向けの体操教室を始めて、10年。
振り返ると、山あり谷あり。
数字は、ゆるやかなジェットコースターのようでもあった。
しかし、心が落ちても、そんな時にこそ、
「じゃ、どうしよう」
と、次の手を考えて来られた。
「”楽しく”にリンクしたら、すぐ動く」
その、自分に正直な濁りの無い選択が、きっと大久保さんを成功に導いているのだと、子どもたちの笑顔を見て、確信できる。
「人生は、楽しむためにある」
楽しむ大人、輝く大人を。子どもたちに見て欲しい。
「楽しむことを、伝えて行きたい」
と、大久保さん。
短期ビジョンは、自然の中での保育事業を立ち上げること。
大久保さんらしい、楽しい保育園の姿が目に浮かぶ。
実現が楽しみだ。

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