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【入居者紹介】GRAB・MACHINE 代表 野村 貴志さん~Gorai’インタビュー~

入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.66

【日本茶関連商品プランニング・販売】



お茶屋の息子の、日本茶への思い。

幼少の頃より、両親は小さなお茶屋をしていた。

ある日、湯呑に入れたお茶が熱いので、氷を入れて飲んでいたら、

「お腹が痛くなる!そんな飲み方はするな!!」

と、父に本気で叱られたことを、今でも鮮明に思い出すという。

家に来た友だちは、

「お茶の、いい香りがする」

と、いつも気持ちよさそうに目を細めていた。

「今では、過剰なぐらい鼻が敏感になった」

と、野村さん。

スーパー店頭での宣伝販売で、

「いらっしゃい、いらっしゃい」

と、父と一緒にお茶を売った、楽しい思い出も。

そんな環境が、野村さんを日本茶の世界へ誘った。

大学卒業後、いったんは異業種に就職したものの、これまで触れてきた、日本茶に関わる事業がしたいという思いが募り、30歳の誕生日に退職。貯めていた1000万円を資本に株式会社を設立し、日本茶販売店を開いた。

「いつか商売したいのぅ」

同僚の多くが、そう言いはしても、本当にやる人はいなかった。

家族みんなが大反対する中、唯一賛成してくれたのは、商売の厳しさを一番知っているはずの父だった。


                 

自ブランド「廣島撰茶」を立ち上げた理由(わけ)。

わずか10坪からスタート。3坪を店舗に、7坪を倉庫にした。

オープンセールの10日間は、大勢のお客さんで賑わい、

「これで安泰だと思った」

しかしセールが終わった翌日から、来客は0に。

それが1か月続いた。

「嫁と2人じゃないと無理」

開業前に父が言った、言葉の意味が解った。

「店だけで成り立つわけない」

最初からそう考え、業務用も視野に入れてはいたが、さすがにイライラして営業に飛び出したという。

以来20数年、業務用緑茶を主に販売してきた。

当時は、売り込みに訪れた会社で、お茶を淹れる社員さんに急須で淹れたお茶を飲んでもらうと、その美味しさが伝わり定期注文をいただくことが少なくなかった。

だが今は、自販機のペットボトルのお茶を、来客者に対応する社員さんが自分で買って提供する時代。

「このままでは、日本茶を知らない日本人ばかりになってしまう」

そんな危機感を持った野村さん。

日本茶を淹れる現場で経験してきたものを広めていこうと考え、自ブランド「廣島撰茶」を立ち上げた。



自分好みのブレンドで愉しむ日本茶の飲み方「廣島呑み」。

「廣島撰茶」には、野村さんが撰んだ「煎茶」「手炒りハブ草茶」「白折」「玄米茶」など様々な種類のお茶がある。

また、量の多いスタンドタイプや業務用から一煎パックなど豊富なラインナップで、ホテルや飲食店、空港や高速道路PAでの販売など、BtoB、BtoCの需要に応えている。

「若い人たちにも、日本茶の美味しさを知ってもらいたい」

と、「廣島呑み」という新しいお茶の飲み方も考案。

ベースとなる「煎茶」に、ブレンド用の「玄米」「抹茶」「ハーブ」「珈琲」を混ぜて、自分だけのブレンドを愉しむ、新しいお茶の飲み方だ。

数十年前までは古くなった煎茶を、各家庭でほうじて「ほうじ茶」を作ったり、香りの落ちた煎茶に玄米をブレンドしたりして普段の生活の中でお茶を楽しんでいたという。

「お婆ちゃんの知恵」とも言えるこの飲み方を“広島版の呑み方”として蘇らせたのが「廣島呑み」。

お茶屋で育った、野村さんらしい発想だ。

また、広島産の日本茶生産量はわずか48t、全体を占める割合は、ほぼ0%である中、この「廣島呑み」のベースとなる「煎茶」には広島県三次市で生産者が地域の活性化を願い真心こめてつくった、稀少な煎茶が使われており、ここにも野村さんのこだわりが感じられる。



苦労を乗り越え、”手を離れても売れるしくみ”へ。

実は2020年10月、それまで着実に拡大してきた会社をいったんたたんだ。

バブル崩壊で大借金を負った父の会社を、借金ごと自分の会社に吸収したうえに、従業員も受け入れたところ、血縁者との確執がマイナスに影響。

「また0からやり直そう」

と、思い切って廃業したのだ。

「それまでの20年余、目標はずっと達成してきた」

30歳で起業した時も、年商1000万円から1億円に拡大した時も、広島初となった日本茶のカフェを開き、年商3億円を叶えた時も、全て、目標に掲げて、実現させてきた。

しかし最後は、売上10億円の目標を果たせないままに、会社をたたむことになってしまった。

工場で夜間に働いて生活を繋ぐなど苦労もしたが、振り出しに戻り2021年2月、個人事業主として再スタートした。



自由に動ける今は、

「ワクワクして仕方ない」

という野村さん。

モノを売ろうと思えば、売る自信はある。だが今は、

「短期では考えていない」

0から再スタートした今、何十年もの経験ある人を追い越すには、頭を使わねば・・・そう考え、

「自分の手を離れても、モノが売れる”しくみ”づくり」

に奮闘中。また、

「座右の銘は、”論語と算盤”」

これまで”算盤”をはじくばかりだったというが、苦労を重ねた今は、人を助け、育てることのできる経営を大切にしている。

SO@Rビジネスポートに入居したのは、異業種の多様な人の出逢いがあるから。SO@R創業プログラムにも参加し、若手起業家たちとも積極的に情報交換。

新たなビジネスモデル構築に果敢に挑む姿は、活き活きしていて頼もしい。



インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来 千鶴

掲載日:2022年11月17日



~ 野村さんへの取材後インタビュー ~







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