入居者紹介「Gorai’インタビュー」vol.67
【ハンド&チャック・ロボット周辺機器】
自動車部品加工からスマートファクトリー構築まで。
本社は、愛知県蒲郡市。
昭和14年に、東京都大田区蒲田今泉町で自動車部品ならびに航空機部品加工工場として創業し、昭和31年に株式会社設立。
昭和42年に愛知県に工場を新設し、その後は国内外に市場を広げ、現在は国内に9拠点、タイ、USA、中国3か国に4拠点を持つ。
事業内容は、以下のとおり。
① 自動車部品の製造
ブレーキ油圧の重要保安部品などを一貫生産
② FA(自動化工場)システムの構築
戦後まもなくから自動車部品の量産を支えてきたノウハウによる、製造現場の自動化
③ ハンド&チャック ロボット周辺機器の製造
つかむ、つまむ、吸いよせる・・・マテリアルをあらゆる手段でハンドリングする、ハンド&チャック業界トップレベルの、バリエーション提供
④ スマートファクトリーLavo
品質条件や常時異常の「見える化」を、LED照明、異品センサ、
画像検査システムなど、さまざまな技術でサポート
業界トップレベルのハンドリングバリエーション。
広島営業所では、工場内の生産ライン(省人化システム)および、システムに使用するハンド&チャック・ロボット周辺機器の、中国地域における営業を担う。
業界が違うとあまり馴染みがないかもしれないが、自動車・家電・半導体など、わたしたちがよく使用している製品の生産現場で、幅広く使われているものだ。
「耐久性があり、長く使える。」と業界から高い評価を得ている株式会社近藤製作所(以下、KONSEI)。
「ロボットが使いやすくなる周辺機器を」
というニーズにこたえ続けた結果、そのバリエーションは、業界トップレベルを誇る。
「営業が好き」。気づけば、32年。
西部ブロック ブロック長の金田さん。
これまでは、大阪営業所から2か月毎に数日、広島に出張していたが、コロナ禍で県をまたいでの往来がままならないという事情から、広島にも営業所を開くこととなり、このたびの赴任となった。
生まれも育ちも愛知。大学は文系に進み、商学部で学んだ。
小学校ではサッカー、中学では部活で剣道もやる一方で、小学生から大学生までボーイスカウトに入団し、自らキャンプを計画し、日本連盟が主催するキャンプにも参加した。県内外の参加者と、知らない者同士が何日も共に生活する経験から、自ずとコミュニケーション力は身に付いた。
就職は、地元企業での営業職にと狙いを定め、希望どおりに近藤製作所に入社。
1年目は、各地の製造現場を経験し、研修でシカゴに2週間滞在したこともある。2年目からは営業職として、東京や川崎に赴任し、関東~東北を担当した。
その後、本社勤務となって大阪、九州、広島を飛び回り、気づけば、勤続33年。営業歴は32年を超えていた。
「営業が好き」
と、目を細める金田さん。
クライアントと一緒になって自動化の壁を解決し、提案が導入された時が一番の喜び。
好きな武将は”義”を重んじる、上杉謙信。
趣味は、日本史。
城や戦場跡を散策したり、徳川美術館など歴史美術館を観て周るのが好きだ。
白鷺城(しらさぎじょう)の異名をとる姫路城や、徳川家康が築いた名古屋城もいいが、
「一番好きなのは、松本城(長野県)」
白漆喰と黒漆塗の下見板で覆われた美しい城の背景に、北アルプスが拡がるとその姿は、一見の価値があるという。
日本史とは少し離れるかもしれないが、司馬遼太郎の作品や、テレビ時代劇「鬼平犯科帳」も見る。
「好きな武将は、上杉謙信」
私欲ではなく、”義”を重んじ、
「誰かを助けるために戦う姿に、共感を覚える」
と、金田さん。
その言葉に、ただ”売る”のではなくクライアントと共に、益を見出す、金田さんの営業の原点を見た気がした。
インタビュアー : (株)ソアラサービス 代表取締役社長 牛来 千鶴
掲載日:2022年12月28日
~ 金田さんへの取材後インタビュー ~
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